my 'clarity'

It hurts, it still hurts.

私のなかの彼女、「推し」ていた経験

 

久々に元「推し」を見かけました。

ネットの画像で。

しかも、ただのキャラクターです。

 

私の大好きなキャラクターであり、憧れであり、「叶わなかった夢」でした。

 

 

 

セックス・アンド・ザ・シティ」(Sex and the city, 通称:SATC)、かなりの有名作なのでご存知の方も多いと思います。

もしかしたら今の若い方はご存知ないかもしれませんが、アメリカ・ニューヨークで暮らす女性4人組の仕事や恋愛、友情を「これでもか」というほどのファッションセンスと大胆な性描写で描き、一躍多くの女性のバイブルとなったドラマシリーズです。(のちに劇場版が上映。)

 

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大学時代、一挙放送をたまたま運よく見てから、私も一気にこの作品の虜となりました。

メインの女性4人組でも、特にお嬢様気質で「運命の人との幸せ」な結婚のために突き進む、保守的なキュレーター、Charlotte York(以後、シャーロットと呼びます。)が特にお気に入りのキャラクターでした。

 

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彼女はとにかく努力家です。「運命の人との結婚」もただ夢見るだけでなく、色々な殿方とのデートを重ね、そしてドラマのなかなのでだいぶ変わった殿方もいるのですが…。彼女はサクッと切り替えてひたすらに「結婚」という目標に戸惑いもなく突き進みます。

結婚後は子供も作ろうと、不妊治療を試みたり、養子縁組のために奔走したり。

見た目も話し方もお嬢様風な彼女ですが、中身は結構ガッツがあり、ひたすらに頑張るタイプ。

努力と見せつけもせず、しかし誰にも文句を言わせないほど常に最大限の努力をするシャーロットは、

当時大学生でこれからのキャリアや人生について迷っていた私にとって、まさに理想の女性でした。

 

それから、シャーロットの魅力といえば、表情が豊かなところ。

親友の婚約を聞いた時には人目もはばからず喜びのあまり叫び、おまけに泣いてしまう。そんなコロコロと変わる彼女の顔の表現が自分にもあったらと思い、意識しているうちに表情に出やすい人間になったと思います。(この社会では幸か不幸かどちらに転ぶか分かりませんがね笑)

 

「シャーロットのような素敵な女性になりたい

おこがましいですが、いつか誰かに「SATCのシャーロットのようだね」と言われたい、と本気で思っていました。彼女になり替わり、彼女の目線で世界を見たい。彼女から見た世界は、厳しさも「チャレンジ」と見えて、どんなブランドものを身につけているときも、自分はその高価なものに全く釣り合うように感じられるはずです。

 

それまでの人生が彼女とは違い、目立たないタイプの劣等生意識のあった人間なので余計、無理をして彼女に寄せようとしていました。

彼女のように髪型は前髪を伸ばし、ストレートのワンカール。

ファッションはいわゆる清楚系でミディ丈のスカートを好み、ワンピースなどは特にシャーロットのファッションの特徴なので、ワンピースを集めたり。

シャーロットを知る以前も以降も、お気に入りのキャラクター、真似したいキャラクターや人物は沢山できていました。しかし、彼女ほど、外見も中身もそっくりそのままなり替わりたい、皆が自分をシャーロットだと認識してくれたらどれだけ素敵だろう、とまでのめり込んだものはありません。

 

「優等生」というのも私にとってキーワードでした。ただ、陸上を続けつつ、2つの主専攻を優秀な成績で卒業したシャーロットの大学時代というのは、私にとっての目標であり、重荷ともなりました。

 

最初のうちはミミック程度で済んでいましたが、次第に現実と架空の物語を「比較」し自分に劣等感を抱くようになりました。

「どうして私はシャーロットのように努力ができないのだろう」「どうして私はシャーロットのように気持ちの切り替えができないのだろう」「どうしてシャーロットのように周りから好かれないのだろう」「どうして自分はこんなに卑屈で暗いのだろう」「どうして私はこんなふうに生まれ、生きてきてしまったのだろう」

 

どうして私は彼女じゃないんだろう。

 

私の考えや心はあまりに幼稚で根本的な部分を忘れていたのだと思います。

シャーロットのような「恵まれた人間」は極めて少ないこと。

 

生まれた時から裕福な環境に恵まれ、トラウマがなく育ち、「正しい努力の仕方」を教えてもらえる環境にいて、さらに本人もそれを素直に発揮できた。いくら彼女が努力家でも様々な恩恵がなければ、ニューヨークで成功してブランドものに身を包み、いつでも話を聞いてくれる友達がいて…あと人生で足らないものといったら「既婚」と「母親である」というチ欄にチェックがつくだけ・・・・。

 

こんな当たり前のことに気付かなかった私は、その後SATC(もちろんシャーロットも)を見ることを避け、それまでとは全く違う髪型やファッションを好むようになりました。

 

シャーロットの画像を見つけたのはつい先日のことです。いつものように、大好きなファッションの画像をなんとなく探していた時に見つけました。作品の大ファンの私は何年越しに見た画像でも、どのシリーズのどのシーンか、直ぐにわかりました。

 

一瞬「なんとなく疎遠になってしまった友人に出くわした」感があり、勝手に気まずさを感じましたが嬉しいことに「やっぱり人を笑顔にする笑顔の人だな」と素直に思うことができました。

たったこれだけのことですが自分にとっての「残してしまった課題」を克服できたようで、この何年かの自分の変遷もきっと意味があったんだと思うことができました。

 

読者の皆様がお気づきのように、私は相当夢想家です。これでも、日常に支障をきたしていないのが自分でも不思議なくらいです。(余談ですが、よく自分が作り上げた妄想に飲み込まれそうになっています…。)

今も、シャーロットことを「相変わらず綺麗、やっぱり好きだな」と思うことができます。

大げさに聞こえるかもしれませんが、自分の再理解を試みている今、彼女のこと、そして彼女が大好きだった頃の自分を思い出せて心から良かったと思っています。

 

 

【映画レビュー】フランシス・ハ

※この記事はネタバレを含みます。お気になさる方は閲覧をお控えください。

※映画の筋と感想が混じっている部分があります。ご容赦ください。

 

「フランシス・ハ」

公開年:2012年

監督:ノア・バームバック

主要キャスト:グレタ・ガーウィグ

      ミッキー・サムナー

      アダム・ドライバー

 

1.フランシスとソフィー

27歳の売れないダンサーのフランシスは大学時代からの大親友ソフィーとルームシェアをしています。

2人は自分たちを「熟年のレズビアンカップルみたい」と言っています。

フランシスはソフィーとの同居をいつまでも続けたいと思っていますが、ソフィーは彼氏との結婚と日本についていくことを決断します。

 

2.新しい部屋

フランシスはパーティーで出会った男性の誘いで新しい友人たちと新しい部屋でシェアハウスを始めます。

ソフィーとの息の合った生活とは違い、意思疎通が難しい個性的なルームメイト達に困惑しながらも生活していました。

そんななか、上司でもあるダンスの先生にアサインされていた、講演から外されてしまい、当面は無職となってしまいます。加えて、今まで「自分はダンサーだから」と敬遠していた事務所を勧められます。

 

3.束の間の夢

無職となり、本業のダンス以外で働かざると得なくなったフランシス。

出身大学が主催するパーティーで一時スタッフとして働きます。そんなとき、日本から一時帰国していたソフィーと夫に偶然会います。

ソフィーは柄にもなく、泥酔しパーティー内で色んな人に絡んでいます。どうやら、ソフィーの日本での生活

も順風満帆という訳でもなく、夫が不倫をしていることも発覚したそう。

久々に再会したフランシスとソフィーは、パーティー後フランシスの部屋で過ごし、ベットに入ります。

お酒のせいか、現実逃避か、ベットのなかで2人は「また一緒に住もう」と計画します。ソフィーは以前働いていた「仕事に戻りたい」とも。

 

しかし、翌朝ソフィーは出ていきます。フランシスの部屋から、そして大学時代から続いていたモラトリアムという幻想から。フランシスが追いかけるも追いつかず、現実と向き合わなくてはいけないということにはっきりと気づきます。

 

4.それでも走る

フランシスはダンスの先生に勧められた事務の仕事を受け入れ、事務員としてパソコンの前で働く日々。

家も引っ越し、新しい部屋に越すところで映画は終わります。

環境が変わったといえ、フランシスの人生が大きく変わったわけではありません。むしろ、劇的な変化や成長を求めていたフランシスに待っていたのは、「そんな風にはなりたくない」選択。

しかし、どんな選択でも自ら選び、新しい道を歩み始めたフランシスは清々しい顔をしています。

 

きっと、フランシスはこれからも家を出る直前に慌ただしく準備をするでしょうし、ダンサー一筋の人生の可能性を捨て切れないまま生きていくのでしょう。でも、時に現実逃避をすることがあってもフランシスは「生きて」いきます。

 

ちなみに、タイトルでもある「フランシス・ハ」の「ハ」の由来がラストシーンでお茶目に描かれているので、

最後まで必見です!笑

 

[感想]

総括して、あまり起承転結がはっきりしない映画という印象でした。

といっても、フランス映画ではよく見かけるパターンですし、観客側も期待はしていないので、良かったのですが。

 

主人公フランシスの所作が「丁寧に生きていない」様を表していて、劇中でも言及された「顔は大人びているのに言動は子供っぽい」という部分が自然と感じられるような演技でした。

どことなく、そのだらしなさたるやHBOドラマの「GIRLS」のハンナに通じるところがあったような…笑

 

フランシスは27歳という年齢(日本でいう所謂結婚適齢期)で「大人になりきれない大人」として描かれていますが、観客としてのフィルターを外してフランシスの言動を自分に置き換えると、なんとなく納得できるというか「もしかしたら自分も傍からみればフランシスのような部分があるかも?」という共感と危機感を体験するでしょう。

 

なんだか、強く心を打つというよりか、何度も何度も見返して、フランシスと一緒にこのくだらない人生を「生きて」いきたいと思える作品でした。

【洋楽和訳】最期に聞きたい曲【Once I had a laugh/Norah Jones】

 

 

みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

今回は洋楽和訳をしていきたいと思います。

今回の歌はNorah Jonesによる「Once I had a laugh」です。
Norah Jonesといえば、グラミー賞の受賞経験もあるジャズシンガー(作詞・作曲にも関わっています)で「Don't know why」で一躍有名になりましたね。

www.youtube.com


一躍有名になった後は「セレブ」として扱われることに戸惑いがあり一時期休止期間があったそうですが、
現在はカムバックし彼女らしいスタイルで変わらぬ実績を残し続けています。

この曲はシンプルなメロディーながらNorahの声が深みをもたせ、言葉で言い表せないくらい大好きな曲です。

Norahの歌はどれもどこか退廃的というか、幸せを諦めているような歌詞なんですよね。
ただ諦めている中でも「かつてあったであろう幸せ」を大切に大切に何度も追憶してるようなイメージが浮かびます。

この曲も例外ではなく「かつてあったであろう幸せ」を抱きしめているような歌です。

私はこの歌を聞くといつも、これから訪れるであろう悲しみと、人生の最期に笑っている自分を思います。


静かで豊かなメロディーに乗せて自分の人生を大切に思いながら愛をもって手放せる時がくるといいと思うのです。


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Once I had a laugh/Norah Jones


Once I had a laugh
かつて幸せで笑ったことがあった

And when I'm older
歳をとったときには

I will not forget
きっと思い出すでしょう

That once I had a laugh
かつて笑ったということを

And when I'm tired
疲れはてたときにも

I will not forget
きっと思い出すでしょう

That once I had a laugh
かつて笑ったということを

And when I'm fallin'
私が落ちていくその時も

I will not forget
思い出しているでしょう

That once I had a laugh
かつて私の人生に確かに幸せがあったことを

Ooh
Ooh
Ooh

Once I had a laugh
かつて幸せな瞬間があった

And now I'm older
今や歳をとったけれど

But I will not forget
今もちゃんと覚えているわ

That once I had a laugh
幸せだった時の私を

And now I'm fallin'
昔より転落したけど

But I will not forget
それでもちゃんと覚えてる

That once I had a laugh
幸せだったということを

I hear you callin'
あなたが私を呼ぶ声が聞こえる

But it's not over yet
でもまだ終わったわけじゃないの

Cause once I had a laugh
だって私はかつて幸せだったから


歌詞ソース元:https://genius.com/Norah-jones-once-i-had-a-laugh-lyrics

 

www.youtube.com

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私の今のボキャブラリーや表現力ではこの歌の良さは伝えきれませんが
どんな時に聞いても、幸せで泣きそうになるのです。

きっと皆様にもそのような歌があることでしょう。
その歌と皆様が一緒に人生を歩めますように。

わたしのおかねが作る幸せか不幸せな未来


「わたしのおかねが作る幸せか不幸せな未来」

 

1.はじめに

社会人になってから、自動的にお金が一程度頂けるようになった。
実家暮らしののほほんと過ごしている私にとっては、それがイコール「様々なお金の使い方を知る」機会となった。

具体的に言うと学生時代は消費に関して何かを「購入している」という意識を持っていた。
大学生になり、慌てて知らない名前のブランドの服を買ってみたり、
「おしゃれなランチ」たるものを体験するために、その量とは到底不釣り合いなデザートを食べにいったり…
手に取れるものであったり、見えない「場所」や「時間」にしても、「手に入れる」ことを目的に消費することが多かった。


しかし、前述の通り幸か不幸か社会というフィールドに出て、多少のお給料を頂いたことで、新たなお金の使い方を知ることとなった。

(余談だが、社会人経験者の方からみたら微々たる初任給だとしても、
学生時代あまりバイトをしていなかった私にとっては桁違いな額であり、1年目の5月の給料日はかなり衝撃を受けた。)

それが、「支援」というお金の使い方である。


2.貢ぐという支援の方法

「支援」というお金の使い方について1つ目の項目を述べたいと思う。

余談として、趣味についてはSNS上で私を含め多くの人がそれぞれの意見を発信しているが、
年齢が上がるにつれてよく聞くようになったのが「お布施」「貢ぐ」などの言葉である。
ネットが普及するにつれて応援する対象を「神」などと呼ぶ風習が普及したのは久しいが、
そのように熱狂的に「ありがたがる」ことがそのような言葉に繋がったのではないかと考えている。

このような言葉を聞くと好きな相手に奴隷化させられるのでは…?とぎょっとする方もいらっしゃるかもしれないが、
我々オタクは貢ぐという言葉にかまけて応援している芸能人と接点を持てるのが嬉しくてたまらない。
たとえば、ファンクラブの会員費やコンテンツの月額登録料など。

なので、お金は出ていくがその行為自体がストレス解消であり、日々を生き抜く活力となるのである。
そして更にあえてメリットとデメリットから見るとしたら


■メリット :生きがい・ストレス解消・エストロゲン増加
■デメリット:お金と時間を割く(後に後悔するパターンがある)

だと考える。


3.寄付という支援の方法

寄付というお金の使い方は近年クラウドファンディングという言葉が日本の中で市民権を持ち始めたことからも
我々ミレニアム世代にはあまり抵抗のなくなりつつあるのではないか?と思っている。

私は寄付を「自分が行いたいけれども、自分ができない(やりたくない)ことを代わりに人様に行っていただく代わりにお金を出す」
と自分なりに定義している。
具体的に述べると、力仕事だったり空調が十分にきいていない場所での労働、精神的負担が多い仕事などである。

私が現在継続的に寄付をさせていただいている団体は、捨て犬の保護を行っていたり、セラピードッグを飼育している団体である。
どちらも、犬のレスキューに関わるボランティア団体である。
実際に体験したことがないので多くは語れないが、重労働であったりキツイ仕事であることは存じ上げている。

以上のように、自分が実現したい未来への行動を「代わり」に行っていただくという意味で寄付をしている。


では私がやりたいことは何かというと、前回のブログでも示唆したように「会社員として安定した暮らしをすること」である。
より直接的かつ誤解のある言葉で表現するとすれば「自分は安全圏にいたい」のである。

 

私が生活と娯楽に十分な継続的な不労所得と今の倍以上の体力があったならば、そのような活動を行ってみたい。
しかし、現状その見込みはないし、きっとそうだとしても私が行いたいことは今の会社の一員として働き続けることであろう。


私は、自分にフィットした生活と自分の成し遂げたいことを両立するために寄付という手段を使っている。


■メリット :自分の成し遂げたいことを「代わり」に他人に行っていただく。
■デメリット:寄付先で「適切に」お金が使われているのかを100パーセント確信を持って知ることは不可能。
      一旦渡したお金は相手の支配下となる(自分のコントロール外となる)。


4.支援と呼べるか分からないもの

2.貢ぐという支援の方法 と似たものとして「さみしさを埋めるためにお金を使う」ことがある。
誰にでも経験があるかもしれないが、精神的に不安定なときにスピリチュアルな商品やサービスを購入することである。

私にも多少ながらこのような経験があるが、失った金額は微々たる出費なものの
時間や「自分がこのようなことに頼ってしまった」という事実からかなり後悔している。

さらに(このような経験がある方は十分お分かりの通り)、
このようなお金の使い方により自分の心の根本的解決に繋がることはないし、一時的な現実逃避にしかならないと最後には痛感する。

しかし、スピリチュアルなものを否定しているのではなく、世の中にはどうしても新興宗教やそこまでではなくてもスピリチュアルなものに
頼らなければ苦しい現状を生き抜くのが困難な方々が一定数いて、彼らの救済になっているというのであれば
その仕組みを全否定するつもりはない。

しかし、ここでは自分が「そうはなりたくない」にも関わらず、そのようなものに「のまれやすい」傾向があるので
自分への戒めの意味も込めて、あえて「良くないお金の使い方」という表現を使いたいと思う。


■メリット :(極めて)一時的な心の支えとなる
■デメリット:根本的解決にはならない。


5.おわりに

今回私が述べたのはあくまでも、私が過去2年間で体験した支援方法である。

ホセ・ムヒカ大統領のインタビューにあったように
「現代人はお金を使うことやお金を払うことに必死で心の豊かさを失っている」という意見もあり、そのご発言はとても素晴らしいものである。

一方で「お金で愛は買えないが、お金があれば愛は潤う」という言葉もある。

お金に関して私が語るのはあまりにも途方もなく、また的外れになりそうなので今回も支離滅裂な文章になってしまったことと思うが、

お金は人や社会と繋がるツールである。
それは趣味という楽しみであったり、社会的貢献であったりする。
ただ、それは少しバランスが崩れれば「搾取されている」「金ズルにされている」などの事態に転がる危険性もある。


これからも私はお金を支払うために働き続けるだろうし、庶民の私は苦労と言わないまでも何かしらのかたちで、死ぬまでお金というものを意識せざるを得ないであろう。
しかし、これからも私なりの有意義なお金の使い方を模索していきたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

HSPな私のおしごと(企業選び編)  

 

HSPな私のおしごと」(企業選び編)

 

 

 


1.はじめに

みなさんはHSP(High Sensitive Person)についてご存知だろうか。


HSPとは「ひといちばい繊細な人」という意味で
具体的には、大きい音や人混みが苦手な方、感情移入をしやすく心が敏感な方を指す。

人口の約20%の人はHSPだと言われているため、HSPは病気ではなくあくまで気質だそう。

 

私は自分のことをHSPと自覚していて、いまではそのことを受け入れている。
「受け入れている」というのは単純に理解するということではなく、それに伴う
ベストな方法を取っているということをここでは指す。


HSPについては色々な場所で色々な人が解説をなさっているが、
ここでは私なりのHSPとしての生き方を備忘的に残していきたい。


さて今回はHSPという気質を持った、私の職業選び(新卒での就活)について書きたいと思う。

 

※今回の文章を書くにあたり、私の「残したいこと」である就活時代を思い出せてくれた、たねさんのYoutube音源を。

https://www.youtube.com/watch?v=UHUJ7z0e1So&feature=youtu.be

 

■たねさんはBouvaria Portという若者を応援するための"皆"の団体を運営されていて、

日々、noteやYoutubeTwitterなどの様々なプラットフォームで意見を発信されている方です。私自身もよく刺激を受けております。(いつもありがとうございます。)

2.「好きなことで、生きていく」の輝き

YouTuberのキャッチコピーは「好きなことで、生きていく」だというのは有名だが
そのCMがTVで頻繁に流れるようになったのは、ちょうど私の大学在学中であったと思う。


そのCM放映時には何か輝かしいものに見えたし、好きなことから進路・職業選びをする友人たちが自分より「選ばれた」存在に見えた。

そして自分も「何かそれらしいこと」をしなければならないような気分に駆られた。


もともと、私は「レールに乗るか乗らないか」の迷いが常に生じていたような人間であった。


というのも、私は大学時代まで同世代の圧倒的マジョリティに並んでレールに乗ってきたが、
同時にマジョリティが持つ「何かは分からないが特別な存在になりたい」という思いもあり、

だからと言って何も行動しないようなタイプで、つまりはうんざりするほど自分の人生に覚悟がない人間だったと言える。

(表現的に自己卑下を感じられるがそのようなことは意図していなく、また20歳そこそこの自分を責めるつもりやそれまでの人生を悔いる気持ちはない。念のため。)


そんな私は漠然と憧れていた職業について考え出したが、一通り調べたあと
「『好きなことで、生きていく』ってしんどくない??」と気づいた。


私の憧れていた職業はフリーランスの方が多く、会社で1から学ぶというよりも個人の実力を試すような仕事だった。
なので、就職前に前提知識が必要とされた。


学力が日本人の超平均的点数に位置する私は大学を卒業してさらに時間やお金を割いて勉強することに魅力を感じなかった。

時間に関してはその領域の勉強に関して「それほど熱意がない」からだったし、お金に関しては恥ずかしながら大学卒業後
他の学校に入学することになったとしても、きっと両親が負担することは予想できたので、大学まで全額負担してもらって
今更社会人になる時期を遠ざけるというのはしたくなかった。


憧れの職業はこのような前提が求められるだけでなく、実力主義の色が強い世界なので幼い頃から環境に恵まれ、
学校でスキルを身につけた人と同じ土俵で戦わなければいけないような業界だったのだ。


夢を(この時点で夢と言っていいのか分からないが)叶えるというのはリスクと引き換えになるものだと学んだし、

仮に夢を叶えられたとしてその先で息切れしてしまうかもしれないと分かった。
少なくとも私には、そのリスクと憧れの職業が釣り合ってないと感じられた。

このようにして、早々に「好きなことで、生きていく」のは諦めたのは大学3年生の夏であった。

 

3.自分なりの探し方


憧れの職業を諦めて「確実に労力が回収できる」職業に狙いを定めた私であったが、
具体的な業界はなかなか思い浮かばなかった。

そこで「どのように生活したいか」「どこで働きたいか」という側面で職業を考え始めた。


どのように生活したいか、については「安定」した穏やかな生活を送りたかった。
前章のようにスリルのある実力勝負の業界は自分の求める世界ではなかったようだ。


会社に関しても働き方に対しても「安定した」場所選びをとにかく目指した。


まず業界については、いわゆるものづくりの上流に位置する化学業界を第一志望に、精密機械や医療系なども志望した。
逆算的に考えて、B to Cのメーカーやエンターテインメント業界は避けたかった。

というのも、B to Cのメーカーはトレンドや一般顧客の動きにより売上に影響が出る可能性がより高く、
生き残りが厳しいのではないかと推測した。
エンターテインメント業界に関しては、景気が悪化した際最初に削られる支出は娯楽だと思っているため、
私の考えでは「安定した」と真逆の業界である。


このようなことを考慮すると、ものづくりに必要不可欠な材料を取扱っている
化学業界や先ほど上げたような業界が自分の求める場所ではないかと思った。

「恒常的に需要がある」ものを取扱っているという面では、エネルギー業界やもっといえば公務員はとても安定しているわけだが
諸事情や女性就職率なども考慮した結果である。
 

次に職種についてだが、文系出身者が就職をする場合は大体、営業か事務だが、このような理由で事務職を選んだ。

選んだ際のポイントとしては、「体力が重視されないこと」「毎日決まった場所に行く安心感」である。
体力については自信がないからという一言で説明できるが、「毎日決まった場所に行く安心感」について少し述べたいと思う。


私は、行ったことのない場所で誰かと待ち合わせるというのが極端に苦手である。
ただ単に方向音痴であるというわけではなく、HSPなのが私の他の部分が反応するのか、

移動中は「本当に向かっている地名が正しいのか」不安であり電車の中で腹痛を起こすこともある。

場所に着いたら着いたで、相手より早くついてしまった場合は「もしも相手が来れなくなり連絡も繋がらなかったら自分は何時間もここで待ち続けるのか」と
意志の弱い忠犬ハチ公のような気分で顔面蒼白になってしまう。

特に会社に訪問する場合は、訪問先の方の名刺と顔まで確認してやっと、安心して案内された椅子に座ることができる。


このように「やりたいこと」からスタートするのではなく「安定した」道を選ぶために他の選択肢を消去するという、ある種打算的な方法で就活に挑むこととなったのだ。


就活中思うことも多くあったが、それは別の機会に何かしらの形で残せたらと思う。
具体的な結果については伏せさせていただくが、自分が満足する条件を満たした場所に着地した。

 

5.おわりに

幸か不幸か人生の前半である10代の頃に心身ともに挫折経験をしたことにより職業選びの際には「どんな生活をしたいか」に注目した。
現在も望んだような待遇に恵まれているし、「安定した」生活が守られた状態でいられている。
安定を求めた先でも冒険のような気持ちを味わうことができたし、素晴らしい人たちとの出会いもあった。


勿論、前述の通り私にも「好きなことで、生きていく」に憧れていた気持ちもある。

しかし、選んできた方角は合っているのだと思うことがある。
なので打算的に就活に取り組んだことに後悔はないし、まだまだ挫折が多い人生の途中だが選んだ方角は間違ってない。

好きなことをすることと望む生き方は矛盾することがある。
しかし、自分でコントロールできそうな部分はコントロールすべきであるし「結果オーライ」なかたちに収まっていれてば尚良い。

そんな当たり前のことを学んだだけの大学生時代の記録である。

「やりたいこと」がないと人生はつまらない?

※この記事は大変偏った思想が反映されています
※成人済みにもかかわらず稚拙な思考をお許しいただける方のみお読みいただけば幸いです

 

「人生で重要視しているものはなに?」という質問が近年特に見られる。


私が思うに、この質問は「自分のやりたいことをやるべき」「典型的な会社勤めから解放されよう」というような結論に持っていかれる傾向にあると体感的に思う。

 

そして具体的な「やりたいこと」というのは
YouTubeなどを代表とする自己プロデュースによるエンターテインメントやフリーランスでの仕事が指されることが多い。

 

世間でいう「やりたいこと」を生業としている人(もしくはそうしようとしている人)は
典型的な会社勤めを「生活のためだから仕方なく選んで抜けられなくなったんでしょ?」「本当はやりたくないんでしょ?」と揶揄することがある。


もちろん会社勤めで上述のような方も多いだろうし、
私自身何もせずに毎月口座にお金が振り込まれたら会社にも行かなくなる。

 


しかし、それだけではないのだ。


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少し話は飛躍するが、私は学生時代「世間」というものにとても疎かった。
カースト下位でメンタルも弱い私にとっては学生時代のクラス制度は監獄のように感じたし、
大学に入っても結局付き合うのは同年代ばかりでやはり窮屈さを感じていた。
学生時代、とくに大学時代などは自分から適切な決定をし、行動すれば素晴らしい経験ができる最高の4年間になることだと思う。

しかし、私は「適切」に決定することに挫折したし、初動はよくても行動の維持が非常に困難な人間だった。


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「イケてない」私の学生時代をこれ以上語るのも申し訳ないので「会社勤め」に話を戻すと

端的に言えば、私は新卒採用で入社後、人生が充実したと思っている。(この場合の企業というのは従業員のことを大切にする企業を指す)

会社員になることで、半強制的に毎日規則正しく起床し嫌でも他人とコミュニケーションをし1日の大半を拘束される。
大学時代引きこもりがちだった私は、他人とコミュニケーションを取る毎日どころか、規則正しい生活すら危うい時期があった。
そんななかでも他人と関わりたい社会的繋がりを求めていた。それにも関わらず行動には移せない鬱々とした自分がいた。

 


そんな私は会社員になることすら心配だったのだが、慣れてしまえばなんとか人並みに出社はできるようになっていた。(この一文に関しては共感してくださる社会人の読者もいらっしゃると察する。)


会社勤めに慣れてくると、同期や上司、同僚との人間関係が構築されてくる。
人間関係というのが会社勤めのストレスの大半を占めていると聞いたことがある。
これについて自分は恵まれていると実感している。
入社したての頃はとうてい良好な人間関係を構築するのは無理だと思っていた。私は(よくない意味の)真面目さを持ち合わせていて、コミュニケーション能力とやらが身に津く大学時代にはその努力を徹底的に避けていたからだ。

しかし、周りの同僚たちはそんな私の「暗い性格」を「真面目」と評価し、慌てながらも汗をダラダラかいている「みっともない」姿をみて「一生懸命」だと評価してくれた。
私はそれについてとても感謝しているし、このような環境にいる日々を「幸せ」だと感じることができている。

勿論、人生は(特に私のそれは)そんなに順調なものではなく、それ以降も何度も挫折を繰り返しているし、今この瞬間も挫折の真っ最中である。


ここまでダラダラと書きつらねてきたが、自分の勤務先を自慢したいわけでも、この挫折の塊の人生に同情をして欲しいわけでは決してない。

 

ここで唯一私が伝えたいことは「やりたいこと」や「自分の夢」が明確でない人生を今まで送ってきた人達に、これからもダラダラとした生活が続くのだと思わないでほしいということ。


怠惰で社交性のない私でも、恐れていた社会というフィールドでまさか光を見つけた。


なので、学生でも、就職された方でも、「夢がないから」という理由で夢を追いかけている人に引け目を感じたり、
自分自身を社会の歯車のように感じて人生を無価値なものに定義してほしくない。


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さてさて、冒頭に戻り、「やりたいことは何?」と言われるといまだに戸惑ってしまう自分がいるが、
「幸せで生きていきたい」というのが自分のなかのしっくりくる回答となっている。

そして今のところ遠回りはしているが、そのビジョンに近づけているのでは?と思っている(勿論半年後には違うことを言い出しているかもしれない。)

 

幸せは人によって様々だ。
一切痛みを負わないことを幸せとする人、
闘い続けること自体に幸せを見出す人、
趣味を生業とすることで幸せとする人、
いわゆる「普通の仕事」の繰り返しの中に幸せを見出す人
自分の得意分野を活かすことで幸せに感じる人


どうかあなたの今日に小さな「幸せ」がありますように。

【洋楽和訳】失恋とは【Girls chase boys/Ingrid Michaelson】

みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

今回も洋楽和訳をしていきたいと思います。

今回の歌はIngrid Michaelsonによる「Girls chase boys」です。
聞くところによるとこの曲はIngrid が友人が失恋したと聞いて、慰めのメッセージを込めて作曲していたそうなのですが
そのうち「誰かが誰かに恋をして、片方が失恋する。失恋してもまた誰かに恋をする。たったそれだけの繰り返しじゃない」と気づいたそうです。
その気付きも芯をついていてとても達観していますよね…。
なんだか今までの何十万(それ以上?)と生み出されていたラブソングをたった一曲でぶった斬るような曲ですよね。

でも片想い失恋組常連の私としてはとってもお気に入りの曲です笑

 

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【Girls chase boys/Ingrid Michaelson】

All the broken hearts in the world still beat
すべての失恋した心は「壊れた」とはいっても鼓動を打ち続けてる

Lets not make it harder than it has to be
必要以上に苦しく考えるのはやめましょうよ

Ooooooh it's all the same thing
もう全部結局同じことじゃない

Girls chase boys chase girls
女の子が男の子を追っかけて、その男の子が他の女の子を追いかけるだけの話

All the broken hearts in the world still beat
すべての失恋した心は「壊れた」とはいっても鼓動を打ち続けてる

Lets not make it harder than it has to be
必要以上に苦しく考えるのはやめましょうよ

Ooooooh it's all the same thing
もう全部結局同じことじゃない

Girls chase boys chase girls
女の子が男の子を追っかけて、その男の子が他の女の子を追いかけるだけの話

 


I'm a little let down, but I'm not dead
ちょっと沈んだ気分だけどだからって死んでるわけじゃあないし

There's a little bit more that has to be said (Oh oooh)
でもあなたに少しだけ言わなきゃいけないことがある

You play me, now I play you too
あなたはわたしで遊びの相手として扱ってたでしょ?じゃあわたしもそうするわ

Lets just call it over
もうこんなこと終わりにしましょうよ

All the broken hearts in the world still beat
すべての失恋した心は「壊れた」とはいっても鼓動を打ち続けてる

Lets not make it harder than it has to be
必要以上に苦しく考えるのはやめましょうよ

Oooooh its all the same thing
もう全部結局同じことじゃない

Girls chase boys chase girls
女の子が男の子を追っかけて、その男の子が他の女の子を追いかけるだけの話


All the broken hearts in the world still beat
すべての失恋した心は「壊れた」とはいっても鼓動を打ち続けてる

Lets not make it harder than it has to be
必要以上に苦しく考えるのはやめましょうよ

Oooooh its all the same thing
もう全部結局同じことじゃない

Girls chase boys chase girls
女の子が男の子を追っかけて、その男の子が他の女の子を追いかけるだけの話

Chase girls chase boys chase boys chase girls
女の子が男の子を追っかけて、その男の子が他の女の子を追いかけるだけの話


Im a little bit home, but I'm not there yet
ちょっとくつろいだ気持ちでもいるし、そうでもない気もする

Its one to forgive but its hard to forget
許せる人もいれば忘れられない人もいる

Don't call me, I won't call you, too
もうこれ以上電話してこないでよね、わたしもしないから

Lets just call it over
もうこんなこと終わりにしましょうよ

All the broken hearts in the world still beat
すべての失恋した心は「壊れた」とはいっても鼓動を打ち続けてる

Lets not make it harder than it has to be
必要以上に苦しく考えるのはやめましょうよ

Oooooh it's all the same thing
もう全部結局同じことじゃない

Girls chase boys chase girls
女の子が男の子を追っかけて、その男の子が他の女の子を追いかけるだけの話

All the broken hearts in the world still beat
すべての失恋した心は「壊れた」とはいっても鼓動を打ち続けてる

Lets not make it harder than it has to be
必要以上に苦しく考えるのはやめましょうよ

Oooooh it's all the same thing
もう全部結局同じことじゃない

Girls chase boys chase girls
女の子が男の子を追っかけて、その男の子が他の女の子を追いかけるだけの話

Chase girls chase boys chase boys chase girls
女の子が男の子を追っかけて、その男の子が他の女の子を追いかけるだけの話


I got two hands, one beating heart
わたしには2本腕があって、心臓は今も動いている

And I'll be alright, I'm gonna be alright
それにわたしはきっと大丈夫、大丈夫になれる

Yeah I got two hands, one beating heart
わたしには2本腕があって、心臓は今も動いているの

And I'll be alright,
きっと大丈夫になる

Gonna be alright
きっと大丈夫


All the broken hearts in the world still beat
すべての失恋した心は「壊れた」とはいっても鼓動を打ち続けてる

Lets not make it harder than it has to be
必要以上に苦しく考えるのはやめましょうよ

Oooooh it's all the same thing
もう全部結局同じことじゃない

Girls chase boys chase girls
女の子が男の子を追っかけて、その男の子が他の女の子を追いかけるだけの話

All the broken hearts in the world still beat
すべての失恋した心は「壊れた」とはいっても鼓動を打ち続けてる

Lets not make it harder than it has to be
必要以上に苦しく考えるのはやめましょうよ

Oooooh it's all the same thing
もう全部結局同じことじゃない

Girls chase boys chase girls
女の子が男の子を追っかけて、その男の子が他の女の子を追いかけるだけの話

All the broken hearts in the world still beat
すべての失恋した心は「壊れた」とはいっても鼓動を打ち続けてる

Lets not make it harder than it has to be
必要以上に苦しく考えるのはやめましょうよ

Oooooh it's all the same thing
もう全部結局同じことじゃない

Girls chase boys chase girls
女の子が男の子を追っかけて、その男の子が他の女の子を追いかけるだけの話

All the broken hearts in the world still beat
すべての失恋した心は「壊れた」とはいっても鼓動を打ち続けてる

Lets not make it harder than it has to be
必要以上に苦しく考えるのはやめましょうよ

Oooooh it's all the same thing
もう全部結局同じことじゃない

Girls chase boys chase girls
女の子が男の子を追っかけて、その男の子が他の女の子を追いかけるだけの話

Oooooh it's all the same thing
もう全部結局同じことじゃない

Girls chase boys chase girls
女の子が男の子を追っかけて、その男の子が他の女の子を追いかけるだけの話

 

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この曲はある意味恋愛を辛辣に斬りながらも、

失恋以外にも辛いことが沢山ある人生をなんとか生きていかなければいけない

私たちへの応援歌だと思うんです。

 

私がここで長く語るより、一度聴いていただいたほうが

きっとこの曲の「優しさ」が伝わると思うので↓のYouTubeリンクからぜひ!

www.youtube.com


今回ももし見ていただいた方が奇跡的にいらっしゃいましたらありがたいことです。

私の稚拙な文章に付き合って下さったあなたに幸せな人生が訪れますように…。