my 'clarity'

It hurts, it still hurts.

わたしのおかねが作る幸せか不幸せな未来


「わたしのおかねが作る幸せか不幸せな未来」

 

1.はじめに

社会人になってから、自動的にお金が一程度頂けるようになった。
実家暮らしののほほんと過ごしている私にとっては、それがイコール「様々なお金の使い方を知る」機会となった。

具体的に言うと学生時代は消費に関して何かを「購入している」という意識を持っていた。
大学生になり、慌てて知らない名前のブランドの服を買ってみたり、
「おしゃれなランチ」たるものを体験するために、その量とは到底不釣り合いなデザートを食べにいったり…
手に取れるものであったり、見えない「場所」や「時間」にしても、「手に入れる」ことを目的に消費することが多かった。


しかし、前述の通り幸か不幸か社会というフィールドに出て、多少のお給料を頂いたことで、新たなお金の使い方を知ることとなった。

(余談だが、社会人経験者の方からみたら微々たる初任給だとしても、
学生時代あまりバイトをしていなかった私にとっては桁違いな額であり、1年目の5月の給料日はかなり衝撃を受けた。)

それが、「支援」というお金の使い方である。


2.貢ぐという支援の方法

「支援」というお金の使い方について1つ目の項目を述べたいと思う。

余談として、趣味についてはSNS上で私を含め多くの人がそれぞれの意見を発信しているが、
年齢が上がるにつれてよく聞くようになったのが「お布施」「貢ぐ」などの言葉である。
ネットが普及するにつれて応援する対象を「神」などと呼ぶ風習が普及したのは久しいが、
そのように熱狂的に「ありがたがる」ことがそのような言葉に繋がったのではないかと考えている。

このような言葉を聞くと好きな相手に奴隷化させられるのでは…?とぎょっとする方もいらっしゃるかもしれないが、
我々オタクは貢ぐという言葉にかまけて応援している芸能人と接点を持てるのが嬉しくてたまらない。
たとえば、ファンクラブの会員費やコンテンツの月額登録料など。

なので、お金は出ていくがその行為自体がストレス解消であり、日々を生き抜く活力となるのである。
そして更にあえてメリットとデメリットから見るとしたら


■メリット :生きがい・ストレス解消・エストロゲン増加
■デメリット:お金と時間を割く(後に後悔するパターンがある)

だと考える。


3.寄付という支援の方法

寄付というお金の使い方は近年クラウドファンディングという言葉が日本の中で市民権を持ち始めたことからも
我々ミレニアム世代にはあまり抵抗のなくなりつつあるのではないか?と思っている。

私は寄付を「自分が行いたいけれども、自分ができない(やりたくない)ことを代わりに人様に行っていただく代わりにお金を出す」
と自分なりに定義している。
具体的に述べると、力仕事だったり空調が十分にきいていない場所での労働、精神的負担が多い仕事などである。

私が現在継続的に寄付をさせていただいている団体は、捨て犬の保護を行っていたり、セラピードッグを飼育している団体である。
どちらも、犬のレスキューに関わるボランティア団体である。
実際に体験したことがないので多くは語れないが、重労働であったりキツイ仕事であることは存じ上げている。

以上のように、自分が実現したい未来への行動を「代わり」に行っていただくという意味で寄付をしている。


では私がやりたいことは何かというと、前回のブログでも示唆したように「会社員として安定した暮らしをすること」である。
より直接的かつ誤解のある言葉で表現するとすれば「自分は安全圏にいたい」のである。

 

私が生活と娯楽に十分な継続的な不労所得と今の倍以上の体力があったならば、そのような活動を行ってみたい。
しかし、現状その見込みはないし、きっとそうだとしても私が行いたいことは今の会社の一員として働き続けることであろう。


私は、自分にフィットした生活と自分の成し遂げたいことを両立するために寄付という手段を使っている。


■メリット :自分の成し遂げたいことを「代わり」に他人に行っていただく。
■デメリット:寄付先で「適切に」お金が使われているのかを100パーセント確信を持って知ることは不可能。
      一旦渡したお金は相手の支配下となる(自分のコントロール外となる)。


4.支援と呼べるか分からないもの

2.貢ぐという支援の方法 と似たものとして「さみしさを埋めるためにお金を使う」ことがある。
誰にでも経験があるかもしれないが、精神的に不安定なときにスピリチュアルな商品やサービスを購入することである。

私にも多少ながらこのような経験があるが、失った金額は微々たる出費なものの
時間や「自分がこのようなことに頼ってしまった」という事実からかなり後悔している。

さらに(このような経験がある方は十分お分かりの通り)、
このようなお金の使い方により自分の心の根本的解決に繋がることはないし、一時的な現実逃避にしかならないと最後には痛感する。

しかし、スピリチュアルなものを否定しているのではなく、世の中にはどうしても新興宗教やそこまでではなくてもスピリチュアルなものに
頼らなければ苦しい現状を生き抜くのが困難な方々が一定数いて、彼らの救済になっているというのであれば
その仕組みを全否定するつもりはない。

しかし、ここでは自分が「そうはなりたくない」にも関わらず、そのようなものに「のまれやすい」傾向があるので
自分への戒めの意味も込めて、あえて「良くないお金の使い方」という表現を使いたいと思う。


■メリット :(極めて)一時的な心の支えとなる
■デメリット:根本的解決にはならない。


5.おわりに

今回私が述べたのはあくまでも、私が過去2年間で体験した支援方法である。

ホセ・ムヒカ大統領のインタビューにあったように
「現代人はお金を使うことやお金を払うことに必死で心の豊かさを失っている」という意見もあり、そのご発言はとても素晴らしいものである。

一方で「お金で愛は買えないが、お金があれば愛は潤う」という言葉もある。

お金に関して私が語るのはあまりにも途方もなく、また的外れになりそうなので今回も支離滅裂な文章になってしまったことと思うが、

お金は人や社会と繋がるツールである。
それは趣味という楽しみであったり、社会的貢献であったりする。
ただ、それは少しバランスが崩れれば「搾取されている」「金ズルにされている」などの事態に転がる危険性もある。


これからも私はお金を支払うために働き続けるだろうし、庶民の私は苦労と言わないまでも何かしらのかたちで、死ぬまでお金というものを意識せざるを得ないであろう。
しかし、これからも私なりの有意義なお金の使い方を模索していきたいと思う。