my 'clarity'

It hurts, it still hurts.

HSPな私のおしごと(企業選び編)  

 

HSPな私のおしごと」(企業選び編)

 

 

 


1.はじめに

みなさんはHSP(High Sensitive Person)についてご存知だろうか。


HSPとは「ひといちばい繊細な人」という意味で
具体的には、大きい音や人混みが苦手な方、感情移入をしやすく心が敏感な方を指す。

人口の約20%の人はHSPだと言われているため、HSPは病気ではなくあくまで気質だそう。

 

私は自分のことをHSPと自覚していて、いまではそのことを受け入れている。
「受け入れている」というのは単純に理解するということではなく、それに伴う
ベストな方法を取っているということをここでは指す。


HSPについては色々な場所で色々な人が解説をなさっているが、
ここでは私なりのHSPとしての生き方を備忘的に残していきたい。


さて今回はHSPという気質を持った、私の職業選び(新卒での就活)について書きたいと思う。

 

※今回の文章を書くにあたり、私の「残したいこと」である就活時代を思い出せてくれた、たねさんのYoutube音源を。

https://www.youtube.com/watch?v=UHUJ7z0e1So&feature=youtu.be

 

■たねさんはBouvaria Portという若者を応援するための"皆"の団体を運営されていて、

日々、noteやYoutubeTwitterなどの様々なプラットフォームで意見を発信されている方です。私自身もよく刺激を受けております。(いつもありがとうございます。)

2.「好きなことで、生きていく」の輝き

YouTuberのキャッチコピーは「好きなことで、生きていく」だというのは有名だが
そのCMがTVで頻繁に流れるようになったのは、ちょうど私の大学在学中であったと思う。


そのCM放映時には何か輝かしいものに見えたし、好きなことから進路・職業選びをする友人たちが自分より「選ばれた」存在に見えた。

そして自分も「何かそれらしいこと」をしなければならないような気分に駆られた。


もともと、私は「レールに乗るか乗らないか」の迷いが常に生じていたような人間であった。


というのも、私は大学時代まで同世代の圧倒的マジョリティに並んでレールに乗ってきたが、
同時にマジョリティが持つ「何かは分からないが特別な存在になりたい」という思いもあり、

だからと言って何も行動しないようなタイプで、つまりはうんざりするほど自分の人生に覚悟がない人間だったと言える。

(表現的に自己卑下を感じられるがそのようなことは意図していなく、また20歳そこそこの自分を責めるつもりやそれまでの人生を悔いる気持ちはない。念のため。)


そんな私は漠然と憧れていた職業について考え出したが、一通り調べたあと
「『好きなことで、生きていく』ってしんどくない??」と気づいた。


私の憧れていた職業はフリーランスの方が多く、会社で1から学ぶというよりも個人の実力を試すような仕事だった。
なので、就職前に前提知識が必要とされた。


学力が日本人の超平均的点数に位置する私は大学を卒業してさらに時間やお金を割いて勉強することに魅力を感じなかった。

時間に関してはその領域の勉強に関して「それほど熱意がない」からだったし、お金に関しては恥ずかしながら大学卒業後
他の学校に入学することになったとしても、きっと両親が負担することは予想できたので、大学まで全額負担してもらって
今更社会人になる時期を遠ざけるというのはしたくなかった。


憧れの職業はこのような前提が求められるだけでなく、実力主義の色が強い世界なので幼い頃から環境に恵まれ、
学校でスキルを身につけた人と同じ土俵で戦わなければいけないような業界だったのだ。


夢を(この時点で夢と言っていいのか分からないが)叶えるというのはリスクと引き換えになるものだと学んだし、

仮に夢を叶えられたとしてその先で息切れしてしまうかもしれないと分かった。
少なくとも私には、そのリスクと憧れの職業が釣り合ってないと感じられた。

このようにして、早々に「好きなことで、生きていく」のは諦めたのは大学3年生の夏であった。

 

3.自分なりの探し方


憧れの職業を諦めて「確実に労力が回収できる」職業に狙いを定めた私であったが、
具体的な業界はなかなか思い浮かばなかった。

そこで「どのように生活したいか」「どこで働きたいか」という側面で職業を考え始めた。


どのように生活したいか、については「安定」した穏やかな生活を送りたかった。
前章のようにスリルのある実力勝負の業界は自分の求める世界ではなかったようだ。


会社に関しても働き方に対しても「安定した」場所選びをとにかく目指した。


まず業界については、いわゆるものづくりの上流に位置する化学業界を第一志望に、精密機械や医療系なども志望した。
逆算的に考えて、B to Cのメーカーやエンターテインメント業界は避けたかった。

というのも、B to Cのメーカーはトレンドや一般顧客の動きにより売上に影響が出る可能性がより高く、
生き残りが厳しいのではないかと推測した。
エンターテインメント業界に関しては、景気が悪化した際最初に削られる支出は娯楽だと思っているため、
私の考えでは「安定した」と真逆の業界である。


このようなことを考慮すると、ものづくりに必要不可欠な材料を取扱っている
化学業界や先ほど上げたような業界が自分の求める場所ではないかと思った。

「恒常的に需要がある」ものを取扱っているという面では、エネルギー業界やもっといえば公務員はとても安定しているわけだが
諸事情や女性就職率なども考慮した結果である。
 

次に職種についてだが、文系出身者が就職をする場合は大体、営業か事務だが、このような理由で事務職を選んだ。

選んだ際のポイントとしては、「体力が重視されないこと」「毎日決まった場所に行く安心感」である。
体力については自信がないからという一言で説明できるが、「毎日決まった場所に行く安心感」について少し述べたいと思う。


私は、行ったことのない場所で誰かと待ち合わせるというのが極端に苦手である。
ただ単に方向音痴であるというわけではなく、HSPなのが私の他の部分が反応するのか、

移動中は「本当に向かっている地名が正しいのか」不安であり電車の中で腹痛を起こすこともある。

場所に着いたら着いたで、相手より早くついてしまった場合は「もしも相手が来れなくなり連絡も繋がらなかったら自分は何時間もここで待ち続けるのか」と
意志の弱い忠犬ハチ公のような気分で顔面蒼白になってしまう。

特に会社に訪問する場合は、訪問先の方の名刺と顔まで確認してやっと、安心して案内された椅子に座ることができる。


このように「やりたいこと」からスタートするのではなく「安定した」道を選ぶために他の選択肢を消去するという、ある種打算的な方法で就活に挑むこととなったのだ。


就活中思うことも多くあったが、それは別の機会に何かしらの形で残せたらと思う。
具体的な結果については伏せさせていただくが、自分が満足する条件を満たした場所に着地した。

 

5.おわりに

幸か不幸か人生の前半である10代の頃に心身ともに挫折経験をしたことにより職業選びの際には「どんな生活をしたいか」に注目した。
現在も望んだような待遇に恵まれているし、「安定した」生活が守られた状態でいられている。
安定を求めた先でも冒険のような気持ちを味わうことができたし、素晴らしい人たちとの出会いもあった。


勿論、前述の通り私にも「好きなことで、生きていく」に憧れていた気持ちもある。

しかし、選んできた方角は合っているのだと思うことがある。
なので打算的に就活に取り組んだことに後悔はないし、まだまだ挫折が多い人生の途中だが選んだ方角は間違ってない。

好きなことをすることと望む生き方は矛盾することがある。
しかし、自分でコントロールできそうな部分はコントロールすべきであるし「結果オーライ」なかたちに収まっていれてば尚良い。

そんな当たり前のことを学んだだけの大学生時代の記録である。